ただの戯言独り言
社会的に生み出された問題は社会的に解決するってのがスジってもんだが、日本だと国にやら行政やらにばかり責任を集中させたがる。確かに国やらの責任はでかいんだが、それらを後押し、時にはそれらが生み出してきた利益を謳歌していた数多の一般人達はその責任については恐ろしく無自覚だったり、また、そのように振る舞う。
中には被害者面して自分達の責任を棚上げして文句を垂れ流すだけの者もいる。
そして批判者は批判する側故に免罪符を得た罪人の如くしたり顔で批判の言を吐き、自分達の責任を果たそうとするものは殆どいない。
こうして『社会』が生み出した問題は『社会』の中の誰か(何か)に押し付ける事によって、一応の「問題解決」という事になってしまう。
言わば、スケープゴートの発見とそれへの責任転嫁が、このクニの社会的問題解決の仕方であり、民主主義の有様だという事だ。
とかなんとか言ってみた所で、その方法や文脈が一部の場所や人にばかり集中しているというか、はじめから選択肢が限られているのが問題なんだよなぁ・・。
で、結局個人レベルでやれる事といえば、個人的に解決するか、くだをまくか、テロするか、選挙という祭りにかけるかしかないというか、なんというか。*1
*1:まぁ、ウンドーっていうのもあるが、一般的でないし一部に集中しすぎてるしねぇ。
ゼロ年代かぁ
まぁ、確かにコンテンツ単体、物語単体としたら無いかもね。
でもその代わり、色んな箱や器は作られたと思う。
でっかい範疇で言えばネット、ケータイ。
小さい範疇で言えば、ブログ、2ちゃん*1、SNS、youtube、モバゲー、プロフ、ニコ動、pixiv、初音ミク。
こうした箱や器、シーン、フィールドが色々生まれて、そこにアマチュアもプロも思い思いに自分の好きなコンテンツや物語を入れて楽しみ交流し、時に化学反応を起こす。そんな感じのゼロ年代だったなぁ。
まぁ、あくまで個人的な雑感だけどね。
大きな物語が90年代の前半にはほぼ死に絶え、ジャンルや趣向の細分化が進んだ先の結果としては妥当というか、そりゃこうなるわなって感じ?
なんらかの物語でひっぱって人集める時代ではなく、物語を入れる器を提供し、それを見守り管理した方が、人が集まった時代。
*1:2ちゃんは以前からあったけど、ある程度求心力やコンテンツや騒動を生んだから入れてみた
コミュニケーションではなく、消費してるだけだよね
『萌え』って言葉を使うからオタク界隈な話に見えるけど、普通に非オタク圏でも良く有る事というか、皆特に声を上げないけど不満に思っている人は結構いるよなぁ。
まぁ、要は『キャラ』とかそういう枠でしかコミュニケーションできなかったりしてくれなかったり、勝手にはめられたりしてキツイっつ〜話だよね。
日本のように、情報化と高度消費社会が同時に進んでいる社会では良くある事だけど、割り切れない人間にはきっついやなぁ。
生身の人間や人格を『萌え』だとか『キャラ』だとかそういう属性や情報にして、それを消費する。
つまりまぁ、属性やらキャラやらの情報にされて、その枠に収められた時点で、もうソレは一個の人格とか人間というよりも、情報という『商品』になっちゃうんだよな・・・・。
商品だから、そうしたモノとして消費され、その枠からはみ出るような事をしようとすると場合によってはブーイングが飛んでくる。
例えば最近「http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1190550.html」って事があったらしいが、これは『処女』という自分が想定していた『商品』でなかったらブーブー言って『中古』だとか騒いでるわけで、自分が気持ち良く消費できないから文句たれてるわけさ*1。これは二次元に対しての事だけど、強度の差こそ有れ、オタクも非オタクも3次元でも同じような事を結構やっちゃってるよね。
今の世の中、馬鹿みたいに情報が飛び交い、さまざまなモノを消費しまくりされまくりな時代であり社会だから、ソレ故にいちいち人間や人格を吟味して判断するよか、『属性』や『キャラ』っつー情報にしてそれを用いてコミュニケーションした方が手っ取り早いし、それに自覚的な人間の中にはそうした事を上手く利用して円滑にコミュニケーションしてる人もいるけれど、けどそれってコミュニケーションと言うよりも、情報を消費してるだけだよな。
その人の事を話してる訳ではなく、そういう商品を消費してるだけだよね。
かといって、いまさらそういう流れを変えるのは難しいし、逆らうのもしんどいのだけれど、それがただの「情報」ではないって事くらい、ちゃんと自覚しないと不味いよね。無自覚にただ乗っかて消費すんのはよろしくないと思うのさね。
まぁ、そんな感じにつらつらと書いてはみたが、これ昔似た様な事かいたやん、自分・・・・。
情報化にさらされる私達(オタク達) - 記憶のメモ帖
人格の属性化(情報化)のはてに - 記憶のメモ帖
すっかり忘れたよ、懐かしいな・・・。
つか、今読むと結構恥ずかしい事書いてあるなぁ(汗
あ〜しっかし、久しぶりに書くと勝手がもう良くわからんな。
はてな記方とか普通に忘れてたし(苦笑
*1:えらい大雑把に切って捨ててるけど
オタク趣味なんて、もう特別な事じゃないでしょ
痛いニュース(ノ∀`) : 初音ミクのコスプレをしたアニヲタのキックボクサー「長島☆自演乙☆雄一郎」が圧勝で新王者に - ライブドアブログ
「接近しつつあるDQNとオタク」の小考察 - KAZAANATOMY
ん〜確かにネットが両者を結びつけたって側面は間違いなくあるけれど*1、それだけじゃないというか〜携帯やネットとかのツールの出現云々というよりも、根本的な問題としてただ単にオタク的コンテンツがかなり当たり前の物になったから、DQNというかヤンキー文化圏や体育会系の世界にもオタクカルチャーと親和性のある人達が増えただけなんじゃないかなぁっと私は思うのよね。*2
オタク的コンテンツって、もう結構当たり前の物だよ
結構前に「83年生まれの私から見た同世代とヲタク - 記憶のメモ帖」ってエントリーを書いたけど、今の20代前半から10代後半の子達にとって、ゲームとか漫画とかアニメ*3とかって、かなりあたり前の物というかさ、物心付く前からあたり前のように存在し、あたり前のようにそれを楽しんでるわけよね。しかも「思春期を迎えたり大人になったら卒業しなきゃいけないもの」って意識は凄く希薄、というかほぼ皆無なもんだから*4、思春期迎えたり中2病わずらったり成人を迎えたとしても、オタク的コンテンツを楽しんでるって子は結構いるわけで、だからヤンキー文化圏に属しているけど*5、昔から親しんできたからオタク的コンテンツも楽しむっつ〜ハイブリットなのも珍しくないのよ。*6
職場の性質上、10代後半や20代前半の子達と一緒に仕事する事が多いけど、彼らは本当に屈託なくオタク的コンテンツを楽しんでる。普通にゲームもやればアニメも見るし、漫画も読む。中にはニコニコ動画にはまってるのもいるし、知り合いに19の女の子がいるんだけど、その子は見た目もギャルで頭の中もギャルなんだけど、その子が描く絵は明らかに萌え絵だったり、愛読書はジャンプで毎週ケロロ軍曹や銀魂のアニメを欠かさず見るって感じでオタク的コンテンツとかに対する忌避感は殆ど見られない。*7
だから若い子達の中では、ある意味もう「サブ」な文化ではなくて、それ相応に市民権というかメインな物としての地位を得てるのだと思う。だからオタク的コンテンツがキモい奴らの痛い文化って意識が余りないのさね。
一時期はやったハルヒダンスとかも、オタク的コンテンツに対する忌避感が相当薄まっているからこそ、あんだけ大流行したと思うし*8自分の趣味を外にアクティブに主張したり表現できる若いオタの子達も増えてるってわけさ。*9
まぁ適当にまとめると
オタク趣味だけにとどまらない、ハイブリットで屈託の無い多趣味なオタクが増えた事+オタクカルチャーの拡大と大衆化、それによる若い子達のオタクカルチャーへの忌避感の喪失が、長島☆自演乙☆雄一郎なんじゃないかな、っとオジサンは考える訳ですよ。
*1:携帯コンテンツとかね
*2:つか格闘技の世界とかは以前から結構オタクチックな人いたような・・・
*3:さらに言えば同人文化やエロげーとかも
*4:今のご時勢、普通に30代とか40代の大人も漫画とか楽しんでるしね
*5:まぁ、本人たちはそういう意識はないだろうけどさ
*6:私の弟とか、まさにその典型。連中エロゲーやエロ漫画、エロアニメもAVと同じ感覚で楽しんでるんだぜ
*7:とはいっても、余りにもギトギトなオタオタしい物とかは未だキモがるど
*8:同期の一人は学生時代に学園祭で皆で踊り、職場の宴会芸でも普通に踊ってるのでオジサンびっくりしたよ
*9:ま、それをオタクと言えるのか?っちゅー問題もあるけど
どうしよっかなぁ
就職やらなんやらで、一年近く放置してたわけだが何か書こうかねぇ。
ネタはいくつかあるんだけど、久しぶり過ぎてなんか色々書き方忘れたわ(苦笑
はてさて、どうしよっかねぇ。
あんまほっとくなら消しちゃおうかな・・・。
少し昔を振り返りながらオタク話
久しぶりにはてなで書いたら、思ったより反応あってびっくらこいた。
ずっと更新してなかったから〜とうの昔に忘れ去られて誰も見てないと思っていたんだが、そうでも無かったのか、はたまた「はてな」の仕様ゆえか・・。
昨日の続きというか追記みたいなぁ
そんな事はどうでも良いのだけど、昨日書いた物のトラバやこことかで「萌え」をネタの一種として捉えてる人というか反応が結構あったんで、少し驚いたというか、「あ〜やっぱりそうなんだ」って感じなんだけど、私の周りのオタ仲間や中学・高校時代のオタの友人達は「萌え」をかなりベタに消費してたというか没入してた人達*1が圧倒的多数だったんだよね。
まぁ、当時*2は「萌え」の拡大期というか隆盛期だったし、自分がオタクとして自覚するようになった頃には「萌え」は結構当たり前のようにあったというか、同年代のオタク仲間が話題にする物はベタな「萌え」重視な物が多かったし、ネタとして「萌え」を見るっていう概念自体が余りなかったと思う。*3
「正統的」なオタク*4としては、「萌え」をネタとして扱う事が正しいスタンスというか当たり前なんだろうけど、そういうオタクだけがオタクやってるわけではないし、私の中学・高校時代のオタク仲間のようなベタに「萌え」を消費してたオタクも相当数いたと思うんだよねぇ。
つか、じゃなきゃあそこまで「萌え」は広がらなかったっしょ。
だからあの「萌え」の爆発的な広がりや浸透って、ネタとして(自覚的に)やってた人とベタにやってた人の無自覚な共犯間係によってなさられたもんだったんじゃないのかなぁ?
まぁ、だからネタ的に見れば行き過ぎただと思える「萌え」でもオタクは消費していったし、逆にベタとして見ると「ね〜よwwww」な物でも人気がでたりとかして、瞬く間にオタクカルチャーを飲み込んでいったんじゃね?とか適当にビール飲みながら考えてみた。(ぁ
最近のオタクの半分はネタでできてると思うんだ
結構前から言われてるかもしれないけど、最近のオタクカルチャーの趣向というか指向性って、完全に「萌え」から「ネタ」に移った感じがする。といっても「萌え」が完全にいらなくなったってわけではなく、最低限の「萌え」要素とかシチュエーションがあって、そこからネタ的に転がしたりメタ視点からネタにしたりする物が増えたっつーか、話題にあがるのはそんなのばっかっという感じ。
もちろん未だに直球の「萌え」重視の作品もあるし、それが一定の支持を得ているけど、かつてほどの勢いは間違いなくないし作品数も少なくなったと思う。
ネタの祭典ニコニコ動画
まぁ、そうしたネタ重視の流れが一番わかりやすいのがニコニコ動画のような場所だけど、*1ニコニコ動画の見所というか特徴の一つに、コメントによる弾幕があるんだが、ニコニコで見れるor見れたアニメ本編やMADなどに着く弾幕の多くがその作品におけるネタキャラや、またはニコニコ動画を見ている人間がネタキャラと認識しているキャラに対して弾幕が貼られたりコメントが集まる性質があるように思える。例えばわかりやすい所でいえば、ハルヒにおける谷口、ゼロ魔のギーシュ、コードギアスのオレンジ、ひぐらしの富竹とか、他にもなのはstsのザフィーラやらレッツ&ゴーのハマーDとか、挙げだしたら切がないんだが、とにかく単純にキャラの登場だけで弾幕や、コメントがあつまるのはネタキャラやネタキャラとして扱われているキャラに対してが多く、弾幕自体も様々な状況で着くのだが、やはりネタ的な要素や場面で着く事が多い。
さらに言えばアニメ本編やMAD以外の多くの動画においても人気を得やすい、またはランキングに上がりやすいのは、ネタ性を多く含んだ動画である。
鏡音リンが発売直後にいきなりやさぐれている件 - 敷居の部屋
まぁ、そんなネタが尊ばれるニコニコ動画なんだから、↑のようになるのは当然というか必然というか・・・だってタマネギやミカンなんかよりも、圧倒的にロードローラの方がネタとしての強度というかインパクトがあるもの。
そもそも、初音ミクの方のネギにしたって、「はちゅねミク」っつーネタ要素の強いSDキャラからきてるしね。*2
求められているのは「正しさ」や物語ではなく、コミュニケーションツール
ニコニコ動画や鏡音リンのロードローラーネタに限らず、最近のオタクカルチャーは漫画にしろ、エロゲーにしろアニメにしろネタ性が強くなったのは、やはりコンテンツの消費の仕方や情報や話題の広がり方が変化したからなんだろうなぁ。
なんて言うか、かつてのオタク系のコンテンツは一品料理で、ひとりでモソモソと食べ吟味する物って感じだけど、最近の人気作や話題作は皆でわいわい調理*3し、そして食べる鍋料理みたいな物って感じ。
鍋料理なんで、大雑把な味だったり平均的な味であっても、余り問題ではなく、むしろいかにコミュニケーションをとり、皆で楽しむかが主眼になる。だから話題になりやすいようネタ性を強くし、情報が伝播しやすいように、コミュニケーションがとりやすいように、オマージュやネタを散りばめる。*4
だから、まぁ一人でじっくりストーリや設定を吟味する、古参のオタクには評価が悪かったりするんじゃないかな?とかなんとか。
あと、オタクの大衆化が相等進んだ事も関係あると思う、もう一般人と大差なんて殆どないんじゃないかい?*5
こうした動きはオタクだけの話ではなく、音楽はじめ*6様々なコンテンツ産業で進んでいる事なんだろうけど、高度消費社会で情報化社会である現在のニホンで生活する者の宿命というか当然の帰結なんだろうな。