情報化にさらされる私達(オタク達)

人格の属性化

かつて属性といえば、『巨乳』だとか『妹』だとか『中学生』とか、外見的特長やそのキャラの肩書きや立場といった物が殆どでしたが〜ツンデレを皮切りに、遂に人格すらも属性化されるようになりました。そしていつのまにやら、こんなにもツンデレの派生というか、人格属性が増えたわけですが・・。

http://d.hatena.ne.jp/nisoku2/20060322

ん〜双葉やブログで「新属性発見!」っと無邪気に喜んでたりしてるけど、私には既存の人間性や感情とか性格を属性という枠・・いや、商品にパッケージングしてるだけにしか感じないのだが。
そんなの発見っていうのかねぇ?

あと、これらの属性を自分達に、リアル世界で適用された時・・・そんな『属性』で説明されて納得できるのかな?
自分達が、その属性で消費されるって恐れは・・・考えてないだろうなぁ(苦笑
オタクは、私を含めて結構無邪気だし。
実際にリアルで「ツンデレツンデレ!」とか言われてる人達はどう思ってんだろう。

こういう属性でキャラを消費するやり方を、俗にデータベース消費と言うらしいですが、とどのつまり属性という『情報』を消費してるって事です。


私はよく「属性の継ぎ接ぎみたいなキャラだなぁ」って感じる時がありますが、それってキャラに人格が感じられるず、そのキャラを情報の集合体としか見れなかったて事か・・・。

オタク化というか情報化

http://srysrysry.blogzine.jp/meniutsuru/cat1007519/index.html

ここの第九章 渋谷と女子高生の深き関係――90年代消費社会と「援助交際」より

つまりマーケティングの対象が低年齢化したことにより、80年代には20代の「新人類」が当てはまると考えられていた「高度な情報処理能力」がまだ10代の女子高生へも求められるようになったのだ。ちなみにこの93年頃には「『電子手帳』を持つ小学生」も話題になっている。
 
しかしこの「情報化」は、彼女達の人間把握をも変えた可能性がある。80年代の「新人類」が情報化社会を生き始めたとき、彼らは「あいつは根暗/ネアカ」「あいつはおたく/新人類」などと、人間をある型にはめて、まるで情報処理をするように人間を「記号化」していた。それが90年代に低年齢化してきたのではないだろうか。

人間が情報処理をするときは、その情報に対し他と区別するような特別な感情を抱かなくなる。すなわちこの時期から一部の女子高生は、眼前の相手を固有の存在ではなく他と同じような「記号」と捉え、人間関係を「情報処理」のようにこなせるようになってきたのではないだろうか。

そして10代の年少者でも次々と無関係な「オヤジ」と性交渉できる「援助交際」は、相手に対し特別な感情を抱かないからこそ可能になる。眼前の相手にいちいち特別な感情を抱いていたら非効率で売春など出来ないからだ。彼女たちはよく「偉そうなオヤジでも服脱げばみんな一緒じゃん」などと言っていた。

さらに彼女達は自分自身をも「女子高生」という記号でパッケージングしていた。彼女達は自分が買われる理由が「女子高生」という記号の商品価値にあることを良く踏まえていたし、そこで望まれる振る舞いを自ら演じていた。

そして、女子高生の特徴でよく挙げられた彼女たちの突っかかりぎみで何でも省略する話し方は、彼女たちを取り巻く環境の情報化が顕著になる92年頃から始まっている。話し方にも情報化の影響が出たのである。

情報化社会の急速な低年齢化は、援助交際ができるほど他者や自分自身を記号化できる感覚を10代に与えたのではないだろうか。

情報化した街を生き抜くために、日常をいくつかの断片の積み重ねとして把握していくこと。たとえ援助交際でも断片的な記憶に出来れば、それは他の出来事と同質の重みしか持たなくなる。そしてすぐに忘れていくことができる。

90年代に一斉を風靡する「援助交際」で、見知らぬ「オヤジ」と性交渉をしてもすぐに気持ちを切り替えていける女子高生の身体感覚は、こうした変化の中で形成されていたのではないだろうか。忘れられるから援助交際ができる。あるいは、忘れられるから一つモノを買ってもまた次のモノが欲しくなる。

女子高生は、情報化によって援助交際の「対象」を「オヤジ」などと「記号化」する事が可能になったように、都市の流動性への適応によって、日常で起こった援助交際の「セックスという出来事」を「断片化」して忘れていけるようになったのではないだろうか。


情報化、属性化はオタクの専売特許ではないって事だぁね。
っていうか、過剰消費にさらされてる者の特徴かな。
オタクは大量に出るアニメや漫画やゲーム等の作品群や関連グッツによって、この女子高生達は服や化粧品や流行り物とか。

そういう意味ではオタクも一般人も変わらないよな。
http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20060320/p3

実はというか、ベタ過ぎて、月並みすぎて言いたくないのだが、僕はセイバーさんが好きだ。
大好きだ。大好きすぎて何も出てきやしない。気持ち悪い惹句なら浮かんだが、ここで発表したその日には閉鎖騒動に追い込まれない。

と、馬鹿な言葉遊びは置いておいて、金銭で愛情を表現出来るという力をフィギュアは持っていた。

さて、現実で置き換えるとそれはホストクラブやキャバクラに当たらないだろうか。

好きなホストに貢いで愛情を表現する人、好きなフィギュア(キャラクター)に散財して愛情を表現する人。
同じじゃないか。
同じじゃないか!!

恋愛という名の情報消費

こうして誰も彼もが、過剰消費社会を生き抜くために情報化していけば、それらの情報を整理して情報処理を効率化しなくちゃいけなくなるわけで、つまりデータベース化して序列を付けるわけだ。
消費と同様に、人間の流れも流動化し携帯やネットによって、より多くの人間と出会え、繋がれる様になる。
その結果、今まで比べるようのない人格や個性すらも、情報化され序列を付けられ皆に不必要とされた情報(人格)は淘汰される事になる。
何を持ってして序列を付けるかは、その時代や状況にもよるが、今現在の日本ならば『コミュニケーション能力』だとか『人間力』だとか、そういう『ルール』によって序列化されるって感じか。


より多くの個人と出会え繋がれ、そして人格や個性が情報化されれば、次に起こる事は過剰競争。
『ルール』によって劣等とされた情報や、競争にやぶれた情報は淘汰され、優等とされた情報、競争に勝った情報に人が集中する。
淘汰されると書いたけど、淘汰された本人は人格を否定されたと感じるわけで、モテ非モテ問題がネットで、あ〜も盛り上がるのも無理ない事だと思う。
そして何より恋愛とは言うけれど、やってる事はその人を情報に分解し、その情報を消費しているだけであって、その人の人格も個性も愛しちゃいないって事でもある。
だから競争に勝った情報も、『ルール』が変わったり何らかの出来事によって情報の優位性が失われたりして上位の序列から転落すれば、あっさりと見限られるってわけで、常に不安や疑心暗鬼を抱える事に・・・。


なんつ〜か、割り切れない人間には地獄だわな。

ちなみに

情報化によって、恋愛やコミュニケーションがどうなるか〜を書きたかったわけで、全ての人がそうなってる訳ではないので、あしからず。