人格の属性化(情報化)のはてに

え〜以前の日記で私はこんな事を書きましたが
http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20060509/p1

ん〜双葉やブログで「新属性発見!」っと無邪気に喜んでたりしてるけど、私には既存の人間性や感情とか性格を属性という枠・・いや、商品にパッケージングしてるだけにしか感じないのだが。

そんなの発見っていうのかねぇ?
あと、これらの属性を自分達に、リアル世界で適用された時・・・そんな『属性』で説明されて納得できるのかな?
自分達が、その属性で消費されるって恐れは・・・考えてないだろうなぁ(苦笑
オタクは、私を含めて結構無邪気だし。
実際にリアルで「ツンデレツンデレ!」とか言われてる人達はどう思ってんだろう。

そして案の定〜
http://d.hatena.ne.jp/watapoco/20060515/p1

萌えと言ったか言わないかとは別に、文化系女子を巡る言説によって傷ついてる女性がいるように思う(これも妄想か?)。

最初に言っておきますが、私は誰が言ったとか言わないとかどうでも良いというか興味ありません。一連の騒動に加わるつもりもございません。

ですが、このように人格や個性、生き方が属性化(情報化)する事による弊害は間違いなく生まれるわけでして、今回の騒動はそのさきがけというか、いや実際は以前から「〜系」だとか「アイツは何々だ」云々とキャラやら属性を押し付けられて、情報処理されてたわけで、http://d.hatena.ne.jp/watapoco/20060513/p1の題名『「萌え」って言葉で女子の生き様をくくらないで欲しい』って言葉が表すように、人間の個性や生き方を属性なんてもので割り切れる訳がありません。
その属性にくくられる事に、その枠にはめられ消費財としてパッケージングされる事に納得行かない人や、それによって傷つく人は間違いなく出るでしょう。
「私はそんなキャラじゃない!」「私はそんな生き方もしてないし、望んでもいない!」「私をそんな言葉(情報)で片付けるな!!」ってね。

ツギハギノワタシ、属性化・細分化・固定化

http://srysrysry.blogzine.jp/meniutsuru/2006/03/keep_tryinpv_pa_c7ca.html

それはまずは自分もメガネやコスチュームで自己表現するといった所から始まるでしょう。しかしいつしか人格の深部へ届いていきます。ブログ・ソーシャルネットワークの自己紹介や「コミュニケーション能力」のように、あるいは切れキャラやツンデレや号泣のように、人格の深部までをもパーツの順列組み合わせで表現することに慣れてしまうことで、そこからはみ出る自分の名付けようのない葛藤、苦悩、怒りを自分のことばや行動で表現することができなくなっていると思います。今はそれを何とかやり過ごしながら生きているひとがとても多いと思います。

私たちは他者理解を貧しくすることで、自己表現をも貧しくしています。

感情のパーツを引き出しから出し入れして「クール」に演じたり「無難」にやりすごすひとは、自らがコントロールできない感情をことばや行動で表に出すことを控えるようになります。それはホリエモン流に言えば「想定外の感情」であり、それに振り回されるよりも効率よく合理的な振る舞いを優先しなければいけないという得体の知れない圧力を感じてしまいます。

その結果他者と衝突する機会は減り、競争社会と相互不信の時代に負の感情だけが自分の内側で溜まっていきます。表面上は(それこそファーストフードの接客のように)おだやかに物事が進みながら、水面下で爆発しそうなほどの葛藤、苦悩、怒りがふくれあがっていると思います。

さらに他者理解から「正解」「安心感」が失われているように、私たちの自己理解からも「正解」「安心感」が失われています。今の自分でいいのか、ならどんな自分ならいいのか、そもそも自分って何なんだ――。

自己表現や他者理解が貧しくなれば貧しくなるほど、その人はキャラや属性の中に埋没して行き、カーストの固定化、自分自身の閉塞に繋がっていき、コミュニティも人も多様性とフレキシブルさを失い、しまいにゃ破滅するでしょう。
「特殊化のはてにあるのは緩やかな死よ」って奴です。
また、これは個人以外でもシステムや組織もまた同様で

http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/c4652a0164120a10272443e2f1e61f9b

>まず先に述べたように、「細分」するという語を使用することは業界が緩慢な死を向かえているという暗示を示す。

「細分化」は確かに進み、互いの交流は確かにますます少なくなるだろう。業界内のコミュニケーション不全がある限界を超えた瞬間に、業界は枯死するだろう。

細分化とは、とどのつまり属性を割り振り、その枠に収め、情報処理を効率化しようって訳で、それが行き過ぎ特殊化しすぎれば、待っているのはやはりシステムの破綻でしょう。

ただ、だからと言って効率化をしなければ良いというわけでもなく、それをしなければ生存競争に簡単にまけてしまったり、粗悪なモノしか生まれなかったり、全然成長しなかったりで、これまたよろしくない。
まぁ、さじ加減というかバランスでしょうかねぇ?

ゆらぎって奴ですかね?

この膨大な情報が飛び交う情報化社会の中で生きている以上、否がおうにも情報の効率化と処理の最適化をせざるをえません。
しかしそれに埋没してしまえば、ただ情報を処理し消費するだけになり、『変化』や『可能性』の道を自ら絶つ事になります。
自分も他人も社会もシステムも閉塞していき利益効率追求機械やただの消費単位に陥り、『ルール』が変われば簡単に破滅し、変わらなくても緩やかに死をむかえるでしょう。
ぶっちゃけた話、私自身もどうすれば良いか、明確な答えはわかりません。
本当は魂も個性も情報の集合体でしかすぎないのかもしれません。

でも、たまには無駄を楽しんだり、キャラや属性なんて枠からはみ出る事をしたり、そして周りもそれを許す余裕を持った方が、世界はもっとおもしろくなると思うんだよね。


あ〜なんか、リアルの話したのにネットゲーの話みたいなったな(笑