オタクに変わる新しい言葉が欲しいね。

http://d.hatena.ne.jp/kaizenai/20060529

大体、「オタクの歴史」の教育がまともにされてないんだから、下と上の世代が断絶し「オタク作法」みたいなものが継承されないのは、当たり前でしょうに。

自分達の世代に引きこもってないで、もっと下の世代とも積極的に交流するべきではなかったのではないでしょうか。

オタキングも泣く位なら、責任取ってオタク歴史の再編纂とかすれば良いのに・・。


 なんで歴史などというものが必要なのか? 彼らは「上」から何かを下賜されないと飢えて死んでしまうのか? 自らが「この日、ここにおいてオタクの新しい歴史が始まる」となぜ言うことができないのか? もちろん、それは彼らが「与えられる」ことによってのみ存在できるひとつの形式だからだ。それが第三世代というものの正体のひとつである。

あの発言の部分は、「私が上の世代ならば〜」って前提で書いたので、ちょっと言葉足らずでした(汗
それと、それら上の世代からの何かを享受するか否かはまた別問題というか。
あと「この日、ここにおいてオタクの新しい歴史が始まる」は私は言いたくありませんね〜。
私自身が、ただの消費者に堕ちたくないのと、今更あえて「オタク」という言葉を使う事にはあまり意味がないように感じるから。


歴史

何故歴史が必要かは、私自身が大学で史学を専攻してるって事もありますが、何かを説明する場合〜何故ソレがそうなり現在に至ったのかという歴史を教えた方が、手っ取り早いからです。
個人レベルの話でいえば、人が自分を「自分だ」と確認できるのは、記憶という歴史を持っているからです。
その歴史を喪失するという事は、自分が一体何であるかを確認できなくなるという事であり、人によっては意図的に自分の歴史を改ざんする事で、別人になったり・・。
つまり、ソレ自身の歴史はソレの意味や本質でもあるのです。
また「こうでなくてはいけない」や「こうあるべきだ」を正当化する場合も、歴史を用いた方が簡単です。
かつて近代国家における『国民』を作るために歴史教育が用いられたのが良い例でしょう。
大体が、上の世代と下の世代では周りの環境が違うというのに、同質のモノを下の世代にも求めるのならば、それこそ『歴史』なり『作法』なりを教え継承させなくてはいけません。


マジで、モノがありすぎるし与えられる事に私自身も慣れすぎたわ

そんなわけで、彼らには自らが動くという意識が決定的に欠けている。

うぅ・・まさしくそのとおりで。
いや、本当〜コレを脱却したいが為に、こうして無い知恵しぼってるというか、ブログにつらつら書いてるというか。
どうにかしたいけど、若造の脳味噌じゃたかがしれてるので、色々な方々の考えを拝見したりしてる昨今です。はい。