反論してもいいですよね?

なんか「世代で語れない世代 - 記憶のメモ帖」が、色々なニュースサイトに紹介されたせいか、色んな方からリアクションがあったり、普段ではありえないくらい人が来て嬉やら恐縮やらって感じですわ。
ただ、私の文章能力が低いせいで、自分が言いたかった事とは違う意味でて受けとちゃった方がいたので、いくつか反論やら訂正やらを・・。

はてブのコメントより

単に外部からひとくくりにされると内部の側は違和感を持つという類の話に過ぎないが、一方で「上の世代は世代としての同質性を保ってられるから」などと平然と言う鈍感さはある意味で示唆的。

私自身は世代論自体は否定してないし納得できる共通項で括られれば、それはそれで受け入れますけど・・。
あんま単純化されてもなぁ・・・。

ヲタ仲間どうしで深く議論や吟味できるなんて、羨ましい

http://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20061002/p1

オタク・コミュニティ、つまり中学・高校の漫研でもいいし、大学のアニ研・SF研でもいいし、特定作品・作家ファンの地方サークルとかでもいい。要するに、先輩・後輩関係、年上・年下関係、知識や思い入れのレベルにばらつきのある、好みさえ微妙に異なる、そういうオタク趣味の集団。

そういう場所で特定の作品について語り出すと、例えば知らない奴が居る。という訳で、第一にその作品を貸したり皆で観たりする機会が生まれる。例えば俺はその作品を嫌いだと言う奴が居る。実際に作品を引用しながら、ここはスゴイとかここが気に食わんとか、議論によって作品評論がされる。例えば同じ作品を楽しんでいるのに、世界観を語り出す一方の奴とキャラクターの可愛さのみを語る奴が一緒に居る。双方が見どころ・読みどころを指摘していくことによって、それぞれがますます作品の魅力を深く知るようになる。

そういえば、私は小中はサッカー部、高校は空手部、大学は合気道部って感じだったなぁ。あ〜でも、SF研や演劇部とは名ばかりのヲタサークルにしょっちゅう顔出して「ソードワールド」とかのTRPGやったり、「マジック・ザ・ギャザリング」とかのカードゲームや同人ゲームの「QOH」とかやってたけか・・。
まぁ、それは置いといて〜引用先のように一つの作品をそうして皆と吟味するって行為。
これが下の世代だと中々難しいと思うのですよ。何故って?だって一つの作品をいちいち吟味したり議論する前に、新しい作品が出ちゃうから。ぶっちゃけた話、作品を消費するだけでいっぱいいっぱいなんですよ。*1
これだけアニメが作られ*2、ゲームが作られ、漫画雑誌が創刊し数多の作品が生まれ、さらにそれらに付随する同人*3やネット*4に存在するネタがあったら、それらを全て消費する事なんかできませんし、その結果共通言語足りうる作品が少なくなる。そうなるともうヲタコミュニティーの中ですら繋がるだけで精一杯で議論や吟味なんて、中々できなくなるのです。
議論や吟味の経験が少なかったり無かったりすれば、それをやる意味も余り見出せませんし、濃いオタクになる必要性もなくなってくる。

んで、話はそれますが〜こうした膨大なコンテンツを消費しようとした結果、『動物化』って奴が起きると思うのです。

http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20060512/p1

どうにも色んな所に目をやったり耳を立てたりして、アンテナを高く多角しようとするんですが〜入ってくる情報が膨大すぎちゃって、処理が追いつかないんですよねぇ。

特に最近のオタク界隈は、業界として成熟というか爛熟しているので、コンテンツや作品のでるスピードや量が半端無いんですよ。

コンシュマーや商業だけでさえ、これですから同人とかの二次創作からネットのネタまで含めたら、とてもじゃありませんが手が回りません。あっぷあっぷと情報の海で溺れちゃう訳。


まぁ、なので必然的に、「これは私に必要な情報(作品、記事ネタ)なのか?」とふるいにかけざるをえなくなるんですが、その過程で、または結果的に、その行為を効率良くする為に、どうしても属性分けをし、『データベース消費』に陥りざるを得なくなるんですよね。しかも無意識に無自覚に。

まぁ、俗にいう『動物化』って奴ですかね。

特にエロゲーなんざ、地雷が余りにも多いので、情報収集とその一環としての属性判断がどうしても必要です。

っていうかやらないと酷い目にあいます(汗

でも、こうやってフィルタリングかけたりして、情報を切り捨てたりすると、今度は話が通じない、話がわからないって現象が増えるわけで、オタク間ですらこうですから、カタギの人の場合は言わずもかな。

どんどん、自分自身や情報がパーソナルなものになっちゃうんですよ。*1

こうして横の繋がりが断ち切れていき、コミュニケーションしやすい連中で固まりはじめ、その結果生まれた小さなコミューン(セカイ)が緩く繋がり*2、中心(主流)が無くなるのがネットワーク社会って奴ですが、中心がなくなるって事は規範(ルール)も意味や力を失うって事です。*3

客観的にメタ視すると、相対的になっちゃいますしね。

ゆえに

http://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20061002/p1

もしこういうコミュニティにマトモな第3世代オタクが一定数居れば、歳の離れたファンやOBと接する機会もあったんじゃないかなあ、と思う。そしてこれほど「訳の分からん世代」という扱われ方はしなかったんじゃないだろうか。

ただ、そうはならなかったのは「第3世代オタク」の規模が膨らみ過ぎて、既存の組織とその人員が対応できない規模となってしまったり、そういう組織を必要だと感じなかった「第3世代オタク」が多かったりしたからではないか。その結果として、現在のような断絶したオタク社会が成立してしまったのではないか。

第三世代の規模が膨らみすぎというのは分かりますが、私は余りにも膨大なコンテンツが一気に供給され、世代で繋がる間も無く、属性やコンテンツによって分断されたのでは、と思います。左翼的な言葉を使えば資本主義の論理に飲み込まれたというか・・・。
そして、何故私がブログでこんな事かいてるかといえば、中々リアルでできない異なる他者と向き合う為、つまり「歳の離れたファンやOBと接する」という行為をネットで補填しようと試みようと思ったからです。
っていうか「マトモな第3世代オタク」ってなんだろう・・。

いちよ第三世代として、反論しておきたかったのです。

個人的には、上の世代を叩くのはお門違いだという印象はある。彼らは我々に何もしてこなかったというけれど、じゃあ『オタク学入門』とか『おたくの精神史』とかは一体どこに向けられて書かれた本なのだろう。彼らが様々な場所で行ってきた講演活動やイベントや大学での講義は、第3世代にはなんの役に立たないものだったんだろうか。それ以外のアプローチは?結局、届く距離まで行かなかったのは自分自身の責任かも知れない。

あぁ、岡田斗司夫とかは、かなり下の世代も意識していたし頑張っていましたよね。そんな彼だからこそ「オタク・イズ・デッド」をやったのでしょうけど・・・。
私が問題にしていたのは、そういうメジャーな責任を果たしてる人ではなく、ネットなどで都合の良い時だけ「第三世代」などと括って戦犯や悪役にしている人達。そんな人達に「じゃあ貴方達は何してきたの?」「第三世代とか言うけど、どういう連中だか分かって言ってるの?」とかなんとか言いたかったのです。
そして私は責任を全て上の世代に被せるつもりはありません。下の世代にもそれなりの責任があると思います。*5

オタク・ヲタク

つうか、「オタク」ってどこまでが「オタク」なの?ハマりこんでれば「オタク」?知識が深ければ「オタク」?

個人的には「オタク趣味」が唯一の趣味、もしくは一番大事、せめて僅差で2番目くらいに楽しんでいる、そういう人が「オタク」なんだと思うのだけれど。

多趣味な中にゲームやマンガが入ってる人まで、「オタク」扱いしてない?

俺が本質的には「オタク」じゃないと思っている「隠れオタ」という辺りまで、「オタク」と見なしているのかな?

だから「ヲタク」って言葉使ってるんですが・・。

*1:だから積みゲーとか積みアニメとか増えちゃって、もうねぇ・・。

*2:今期の新作アニメの数とかもうね・・。

*3:同人とか一日単位で新しいのがどんどん出るし

*4:双葉や2ちゃんのネタは追っかけるだけでもキツイやねぇ

*5:受身の消費者になりすぎちゃってる事とか