遅れてしまいましたが・・。


あわわわ、風邪引いたりレポートやったりで中々時間がとれずに、トラバなりコメントなりでリアクションしてくれた方々へのレスが遅くなってしまいました(汗
スイマセン。


http://d.hatena.ne.jp/number29/20061004

あのコメントに関して補足するならば、恐らくあなたから見て上の世代にあたるであろう、75年生まれの自分から見たら「上の世代は世代としての同質性を保ってられるから」という言葉はあなた自身が言う「あんま単純化されてもなぁ・・・。」にあたるだろうという皮肉を込めました。それはあなたの目から見た、あなたが単純化して見ているカギカッコつきの「上の世代」でしかないでしょう。ちょうど、あなたが「第三世代」と括られてしまうのと同様に。

いやはや、おっしゃる通りで・・・良く検証もせずに主観で決め付けてしまいましたわ。
ミイラ取りがミイラになるというか、あ〜かっこ悪い(苦笑

責任

まず、「責任」というのは何に対しての「責任」でしょうか?「(上の世代に存在した作法が受け継がれずに)あるべき形にならなかった」ということでしょうか?しかし、もしそう考えるのならば、その「あるべき形」もまたフィクションであることに気付くべきです。その「あるべき形」というフィクションは主に「上の世代」の体験から発せられているものと考えられますが、しかし、それをあなた(を含めた他の人々)が絶対的なものと捉える必要は全くないでしょう。そもそも歩んできた個人の歴史が違います。一般的な意味でのオタクコンテンツに含められるサブカルチャー全般は、こう言っては何ですが、しょせんはジャンクカルチャーです。消費の作法なんてものは環境によっていくらでも変わって当然のはずです。

その「責任」というのは、『世代が断裂し交流が上手くいかなくなってしまった』責任です。
「あるべき形」への憧憬は無いといえば嘘になりますが、そこまでは重視していません。世代間の交流の結果、相対化され、否定されたり受け継がれなかたっとしても、それはそれで構わないと思っています。
そうした交流というのは、お互いにチャンネルを開いてないと上手くいきません。お互いがお互いの趣味や消費の殻に閉じこもったままでは、交流もクソもありませんので、そういう意味で下の世代にも責任の一端はあると思ったのです。
私としては、世代論だろうがオタク論だろうがアニメの感想やら批評やらでも、どんなネタでも良いのですが、そうした世代間交流等の縦の繋がりや、ジャンル間の横の繋がりとかかがもっと増え活発になって欲しいのです。
だから、「責任」をもっと端的に言ってしまえば「閉じてしまった」責任です。

カテゴリー

本当、野村総研のアレじゃありませんが、類型か非モテマップのようなオタクマップを作った方がいいですね

というようなカテゴリーの整理を求めるというのはただの権威を求める行為でしかなく、非常に不毛な欲望だと考えます。そんなカテゴリーを作って何の意味があるのでしょう?「自分はちゃんとこの位置に分類されるからオタクとして大丈夫だ」「あいつはこの要件を満たしていないからオタクには当てはまらない」などというくだらない差別化をするための道具に堕するのがオチじゃないでしょうか?

ん〜「カテゴリー」=権威ってのは、ちと極論ではないでしょうか?
ネットなどで散見する、分類分けやカテゴリー化は権威を求めているとは思えませんよ。彼等は無自覚に権威を求めているとでもいうのでしょうか?
私自身は、ただたんに余りにも曖昧な枠で括るとニュアンスが伝わりにくくなるし、オタクで括られると迷惑な人がいるのなら、少しばかり整理して分類分けしてみるのもいいのでは?と思ったので言ってみたのですよ。

しかしそれはそれで構わないと私は思っています。持っている基盤が異なる人から見たら評価が異なるのはごく自然なことであり、そうした物の見方が存在すると受け入れるだけのことです。あなたはそれでは困るのでしょうか?

余りにも不当な評価だと困りますねぇ。
確かに受け入れるも一つですが、そればかりってのもどうでしょうか?こっちから発言したり提言しちゃいけないのですか?私は内や外から様々な意見が出て、それによって様々な物の見方が整備されていくのは別に良い事だと思いますが・・・カテゴリーやレッテルをそこまで忌避する必要は無いと思います。
不当な評価のカテゴリーをされたのならば、意見を出して議論をして修正していけば良いのですから。

歴史

忌憚なく正直に思っていることを言えば、あなたの一連の記事からは上の世代に対するコンプレックスが感じられます。それ自体はある意味で自然なことだと思います。自分よりもはるかに年齢が上で、経験・知識・見識ともに膨大に見える人間を前にしたときの反応としては当たり前でしょう。「若者は、若者であるがゆえに歴史の堆積を憎む」という言葉もあります。けれど、そのコンプレックスから逃れるために、そうした歴史の堆積に服従してしまうのは誤りだと私は考えます。個人的な感情で言えば、過去を過剰に美化し権威化する年寄りと、手っ取り早くその権威にすがりつこうとする若者の共犯関係ほど醜くかつ後ろ向きで害悪と呼べるものはないとまで思います。少なくともあなたの場合はそうした権威にすり寄っているわけではないと思いますが、しかし、意識し過ぎのようには映ります。

コンプレックス云々ってのは、まさにその通りで、あの記事はかなり上の世代への対抗意識で書いています。
しかし「歴史の堆積に服従」ってのは違うような。ん〜私はこれでもいちよ史学科の人間なので歴史に対しては尊重はすれど、無秩序に受け入れるつもりはありません。それが妥当だと思えば受け入れますし、違うと思えば噛み付きます。意識のし過ぎ〜というか意識しています。はい。
何故って、私は短いながらも「オタクの歴史」に興味が有りますし、古典の作品とかも好きなので、そうした作品が下の世代にも、もっと見てもらいたいっていう欲望もあります。そしてやはり他の世代やジャンルの方ともっと交流してみたいという欲もあるので、やはり意識してしまいます。
こういう事が「歴史の堆積への服従」だと言われてしまえばそれまでですが、若者は皆歴史の堆積に反抗せにゃいかんっていうのもなんか違うような。「温故知新」というように、過去のことでも評価されるべき事は評価しても良いのではないのでしょうか?評価する側が若者でも。