消費に対する視点はもっと必要だと思うよ。

http://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20061004/p2

まず、個人的に一番問題だと思うのは、結局『コンテンツ流通量』を言い訳に出来てしまう状況だと思う。それは上の世代のオタクが「最近は量も多いし、流行が流行で全然ついていけない」というセリフを吐くのもそうだし、同年代が「新しいのが次々出てくるから、過去の作品なんて手が回せない」と漏らすのもそう。この言い訳を元に相互の主張を聞き流す。こうやって状況のせいで、多くのオタクがコミュニケーション・チャンネルを閉ざしているから、年代や好みで派閥割れしてしまっているんじゃないかと。

逆に私はもっと『コンテンツ流通量』とかを語るべきだ、っと思っていますね。
オタクだけではありませんが、日本人は余りにも消費に対して無自覚というか、カネの空気化というか、そうした消費に対する無批判性や無自覚さが、様々なカルチャーや文化のファッション化や細分化、蛸壺化を招いていきました。
パンクですら10年足らずでファッションになっちゃう国ですからねぇ。
パンクを初めとした音楽が10年前、20年前にやってた事を、今オタクがやっているのですよ。
ゴスロリ等のファッションも随分意味を抜かれて、ただのファッションになってしまいましたし。
日本じゃなんでもかんでも放っとくとただの「消費」になってしまいます。
だから『コンテンツ流通量』スルーしたところで、パンクを初めとしたサブカルでやってきた事を再生産するだけに思うというか・・・。
まぁ、『コンテンツ流通量』っていうか、日本人の消費に対する価値観や『消費』自体をもっと考え語るべきってのが、私の意見です。

まったく、最終的に言いたい事なんて「おたく、何が好きなの?」から始まる会話を、相互に繋げられる努力をしろって事に過ぎないのか。俺は。

これは全くの同意です。っていうかその努力の為に手広くやろうとして、大変になってるんですよね私の場合は(苦笑

あぁ、言いたかった事はこれだ

http://d.hatena.ne.jp/kj-3plus4/20061003/p1

でも、反面で「言論や嗜好の棲み分け」がどんどん進んでいってるんだよなあ。

自分と合わないタイプを拒絶する流れというか。

議論さえしないで、相手の恥部だけ洗い出して、より多くの外部に受ければ勝ちみたいな風潮。

あ〜これだこれ、こういう風潮が嫌だから、http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20060923/p1http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20061001/p1を書いたんですわ。