何故おたくか

http://d.hatena.ne.jp/north2015/20061004/1159912170

何故おたくなのか。

なぜおたくということばをそこまでして延命させなければならないのか。

なぜおたくになりたいのか。

そこにどんな欲望が働いているのか。

何故おたくか。
それはやっぱり、私が今の消費する事ばかりが強くなっている現状のオタク界隈を余り好ましく思ってないからでしょう。ゆえに反発しながらも今のオタク文化の下地を作ったり、コミケという革命を成功させた上の世代に憧憬も持っていたりしているわけで・・・。
今現在の「満たされる」けど「なんか閉塞していて」「つまらない」最近のオタクカルチャーと比べると、新しい文化や物や価値観を作り出せた(と私は評価しているのですが)「おたく」は普通に凄いと思うのですよ。
今の、例えば私の同世代の人間やその下の世代に、そういうモノを作る力がないわけではありませんが、明らかに消費の方に比重が置かれているというか、しかも何もかも「用意されてしまう」ほど便利になり、モノを作ったり表現しなくても満足できてしまう、最近の流れからしオタク文化も戦後日本のあらゆる文化やカルチャー同様、ただの消費に収まってしまい、結果的に面白いものがでなくなってしまうと、私は思うからです。


まぁ、だから私が拘っているのは「おたく」という言葉というよりも「おたく」という言葉が持ってた意味や歴史なのです。
戦後日本におけるカルチャーにしろ全共闘のような運動にしろ、歴史の断裂を常に繰り返し、そのつど上の世代と下の世代が衝突し、衝突までは良いのですが、そこから互いに学ばずお互いに閉じて無視をする、を繰り返してきました。
その結果、私達は不純物を排除した心地よい共同体を手に入れる事はできましたが、縦の繋がりも横の繋がりも失っていきました。
歴史の喪失は何故「おたく」か何故「パンク」か何故「サブカル」か、といった意味を失わせます。
意味がなくなった方が消費はしやすくなるので、消費の力が余りにも強い日本では当たり前の流れなのですが、そうやって既存のカルチャーを消費しているだけでは、面白いものは中々生まれないし、消費でしか自己表現が出来なくなるのはとてもつまらない事だと思うのです。
だから、そうした歴史の整備やオタクの再定義によって、そうした状況を分かりやすくするってのも手だなっと私は考えているわけです。
日本人は消費に対して余りにも無自覚なんで、コレくらいやるべきでは・・というか、日本のハイアートは余りにも弱いのでオタクカルチャー内部で「基準」を作っちゃうのもアリなんじゃない?とか思うのですよ。


だから「おたく」の延命というか、「おたくの歴史」の延命や整備をしたいのでしょうね。私は。
ゆえに「おたく」って表面の言葉自体は、死のうが生きようがどうでもよかったり(ぁ
要は、そうした「おたく」という生き方やライフスタイルがある事や、そうした人々がこんな事をしてきたのですよってのを、もっと多くの人に知ってもらいたいって願望というか欲望が私には働いているのです。


あ〜〜ダメだ、上手く纏まらない。
っていうか
コレのコメント欄にあった、http://srysrysry.blogzine.jp/meniutsuru/cat1325242/index.htmlhttp://srysrysry.blogzine.jp/meniutsuru/_1960_/index.htmlとかを読んでもらった方がわかりやすいかな?