妄想では癒されきれなかったのか・・・。

一方、相部屋だった学生らがテレビで語ったところでは、容疑者は「クエスチョンマーク」と呼ぶ、自分とは別人格の兄弟であるように振る舞うことがあったほか、ジェリーという空想の世界のスーパーモデルの恋人がいたという。

http://www.asahi.com/international/update/0418/TKY200704180352.html

ちょ、脳内彼女かよ!
え〜っとコレはあれかい?喪男テロって奴か?非モテロか!?
しかし脳内彼女を作り出すほどなのに、喪闘気が溜まり、暗黒面に堕ちてしまったのね。

レヴィの台詞を思い出した。

ああいう手合いに共通してんのは、いろんなもんを憎んでるってことだ。
ただ憎むんじゃなく、問題なのは-----
いろんなもんを憎みすぎて------
何を憎んでるのかもわからなくなっちまってる。
そして最後は、何もかも巻き添えにして吹っ飛ばすのさ。

(「BLACK LAGOON」二巻より)

コレ読んでたら上記の台詞を思い出したよ。
古今東西、社会の歪みは犯罪やテロの土壌を創り、弱者を犯罪者に変える。
ブララグの双子に限らず、社会からセカイから、『いろんなもん』に見捨てられ否定され追い立てられた者が最終的に向かう先は、自分も含めた『全て』の破壊。
こういう連中ってのは、どんなにボディチェックとかセキュリティを強化しても、銃や凶器を規制したとしても、社会の歪みやコミュニティの歪みを放置し続ける限り出続ける。*1
それっぽい人間を見つけて、強制的に病院や収容所にぶち込み続けたとしても、根本的な解決にはならない。

大学で銃を派手にぶっ放した奴を擁護するつもりは毛頭無いが、全ての責任を彼の「個人的なモノ」に収束させる行為は、問題の本質を見えなくするだけで、得られるものは「事件の教訓」などではなく、偏見や疑心暗鬼といったものだろう。

彼を「イカレ野朗」として排除しても、良くわからん精神病を持ち出して、あ〜だこ〜だと論じてみても、現状は何も変わらない。
自分を変えることも、耳と目を閉じ口をつぐむ事もできなかった者が、またセカイに憎悪を撒き散らすだけだ。

*1:だからと言って規制やセキュリティ強化を否定するつもりはない

田舎者のボヤキ

http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20070326/1174845328

ここのコメント欄で、フルカツさんとかが「狭い」と言っているが、本当〜運動とかの業界は狭い。
私自身は、運動にかんしてはズブの素人だし、どっちかっつ〜と保守で、基本、外から見ている人間だけど、あの業界の狭さは良くわかる。
大概どこかで見たような顔ぶれ、あっちの運動でも、こっちの運動でも、みたいな。

そしてその狭さこそが、ニホンという環境における、運動の限界なんだと思う。
あの狭さは人脈的な狭さってのもあるけど、地理的な狭さでもある。東京近郊ばかりに運動が集中するゆえの狭さ。ゆえに全国には広まらないし、あまり理解されない。
なぜかといえば、東京に集中している運動は「東京近郊だから」できる運動ばかりだから。
東京という全てがそろった環境があって、初めて成立する運動ばかりだから。
例えば、高円寺ニート組合や素人の乱のような物のは、その典型だし、あ〜いうローカライズされた運動でなくても一昔前に流行った、ワールドピースナウのような、オシャレ運動やサブカル的な運動も同様に東京でしかできない。*1


東京に気軽にこれる人はそれでもいいだろう。
でも、そうでない者は?
私の地元からは東京まで車や電車を乗り継いで4時間かかる。電車代は片道1500円だ。これでもまだ多分良い方だろう。北陸や東北の人間にとっては、東京に行くだけで、時間的にも交通費的にも馬鹿にならない出費だ。

かといって、じゃあ地元で何かしようとして、はたして何ができるだろうか。
運動や思想的な文脈など殆どなく、また理解している人間も殆どいない。サブカル的な文脈なんて、イオンの中のヴィレッチバンガード位だ。
有るのは、田んぼとシャッター街と、コンビニとイオン位しかない場所で、一体何ができるんだろう?
もし、何か思っても感じても、考えても、できる事はこうしてパソコンに向かって、こうして愚痴を吐き、くだを巻く事位しかできないんじゃないんだろうか?*2
そうした道具も持たない人間は、それこそ珍走行為とかしたり、ひたすら消費して、うさを晴らすか、諦めて我慢する位しかないんじゃないか?

こんな場所で一体何ができるんだろう・・・。
そして「こんな場所」がニホンにはそこいらじゅうにあり、日本の大半である事に、東京で運動やっている人はどれだけ気付いているんだろう?
自分達のやっている運動が、東京という環境に支えられているって事を自覚しているんだろうか?

*1:京都や大阪、名古屋クラスとかだと、できるかもしれませんが

*2:だからネット右翼とかって地方の人が多いと思うんだよね

一方通行?

「オタクはなるものじゃない、勝手になっているもんだ」っていう言葉は良く聞くけど、逆にオタクを止める時は「脱オタ」なんて言葉が有るように、なんか人工的に無理矢理止めるって印象が強いわな。
「オタクは止めるもんじゃない、勝手に止めているもんだ」とはならないのは、なんででしょ。むしろこっちの方が多数派のような気がしないでもないようなぁ〜ごにょごにょ。

左翼は政治的非モテだと思う

とりあえず左派の人は、現実の「世間」に対して行動するなら、自分たちがもはやほとんどの人にとっては蛆虫以下の気持ちの悪い存在、もしくはカルト宗教団体以下の危険物でしかないということを自覚して行動したほうがいいかもしれない。いやこれイヤミじゃなくて、真面目な話、そのくらいの謙虚さ(?)もしくは開き直りって必要かも。「正義だから勝つべき、勝てるはず、理解してもらえるはず」という幻想はいい加減捨てよう。現職への批判票をどこまで集められるかとか、選挙にかこつけて自分たちの主張をしたいだけならいいけど、勝ちたいのなら「正しさ」を掲げて戦うことはやめたほうがいいんじゃないか。それを「正義」と考えてるのは自分と自分と話の合う仲間だけだと考えたほうがいいんじゃないか。自分たちに同調しない人たちが皆バカなわけでもだまされているわけでもなく、むしろ左派の自分たちにとっては「悪」としか思えないようなこと、左派の自分たちにとってはひどいとしか思えないようなことを主張する人物・陣営だからこそ、他の人たちには「いい」と思われ積極的に支持されるのかもしれないということを認めたほうがいいんじゃないか(それに加えて「左派市民の支持する候補者だけは嫌だ」という人もいるということを)。

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070412/p4#c

かなり偏見入ってるかもしれんが左翼は、非モテ喪男と似ていると思うんだよね。
まぁ、左翼にしても非モテにしても、色んなのがいるけどさ、例えば今回の都知事選に関して、石原慎太郎に投票した都民を「馬鹿」呼ばわりしている方々なんて、女性をそれこそ馬鹿にし、あまつさえ「肉便器」だとか言って敵意を向ける一部の非モテというか喪男と同じじゃないかい?自分の正義を信じて、頑なな所とかも似ているし。
一般受けしない表現をしたり、空気読めなくて、顰蹙かったりする所とかも、非モテチックだよね。
あと無駄に理屈っぽい所とか。


じゃあ左翼が非モテなら、ネット右翼とかは何かっつ〜と、私はギャルとかだと思うわ。
左翼やリベラルを嫌い、多少問題はあっても体制側を承認する所とかって、DQNやホストとかに言い様に利用されちゃったり、オタクや非モテを馬鹿にし、「きもい」とか言って排除しちゃう様に良く似ていると思うんだが、どうよ?


あと、ちょっと前に話題になった赤木智弘氏の『「丸山眞男」をひっぱたきたい』に対する、既製左翼の返答のダメダメさとか、左翼の非モテっぷりを良く表しているわ。
アレはせっかくフラグが立ったのに、余計な事言ってへし折っちゃったり、女性とのコミュニケーションで冷静な突っ込みや理屈ばっかこねてるって風に見えるよ。
ちなみに、赤城氏のあの文章って、ある意味ヤンデレ
「私の事見てくれないのなら・・・私の事愛してくれないのなら・・あんた達なんか殺してやる!DQN君と一緒に殺してやる!!」って感じ?(ぇ
で、まぁそういう歪んではいるが、ラブコールが飛んできたのに、それに対して「病院いけよ」とか「DQN君と付きあっても酷い目にあうよ」みたいな突込みしか返せない所に、私は左翼のどうしょもない非モテっぷりを感じました。

追記

そういえば、石原慎太郎が選挙期間中しおらしくて、それが良かったとかなんとかって話あったけど、これはつまりDQNがたまに優しかったりして、そのギャップにやられちゃうっていう例のアレか?

東京ナショナリズム

この都知事選の石原候補圧勝が示すものは、富める東京、ひとり勝ちの東京に住む都民は、その東京都と地方の格差が拡大しているという現実にあまり興味がなく、石原都政8年の流れを継続してよしと承知したことになる。

 残念であるが、浅野氏がマニフェストで「東京都政を転換することにより……いきいきとした日本を蘇らせます」とした東京と地方の「格差是正」のメッセージは否定ではないが、少なくても否認されたのである。私はここに東京人の「東京ナショナリズム」(東京エゴ)の影を見るのである。

http://www.janjan.jp/election/0704/0704093385/1.php

「東京ナショナリズム」かぁ、確かにそれは感じる。
あれをナショナリズムと言って良いのかわからんけど、東京の人の地方への無関心っぷりは結構あると思う。
地方出身者がかなり多いはずなのだけれど、あまり地方の事に気にかける人はいないし、正直な話、自分自身も東京に一時期住んでいた時機もあるのだけど、確かに地方や自分の故郷の事とかは殆ど関心がなかった。
人も金も物も文化も揃った「東京」にいると地方や故郷の事なんてどうでも良くなってくるのである。ありとあらゆる物が揃い満たされ、多種多様な人がいるから、他県に行く必要も、考える必要も殆どなってくるし、故郷に帰ることすら煩わしく感じていた。
実際は多くの物を他県や日本の外に依存していたり、東京の繁栄は地方の状況と密接に関係しているだけれど、そうした事にはかなり無自覚だったし、ゆえに、久しぶりに自分の実家に帰ってきたとき、自分の故郷の荒廃ぶりに愕然としたっけか・・。


地方出身の私がこんなものだから、東京生まれの東京育ちの人はもちろん、地方出身者であっても故郷の事に関心が無い人間が多いのもうなずける。
地方では、次々と商店街が潰れたりして荒廃していくなか、下北沢では再開発計画に反対した運動が巻き起こるなんて、そのいい例だろう。*1
東京は経済的には、かなりグローバルではあるけれど、それ以外の面では、かなりローカルに閉じているのかもしれない。何かムーブメントが起きたとしても、マスコミと企業によって広域に喧伝されない限りは、地方には波及せず東京内部で完結して終わる事が多い。*2


だから浅野史郎マニフェストによる「格差是正」よりも、石原慎太郎の「東京でオリンピックを!」「東京を!」「東京を!」っていう東京というローカルを強く意識したメッセージに強く反応し、支持をしたのじゃないかな?特に年配の方には東京オリンピックなんて復興と反映の象徴だしね。

東京、アメリカ、慎太郎

なんていうか、そうした面から見ると東京ってアメリカと似ていると思う。日本というセカイにおけるアメリカが東京って感じ。
アメリカ人が自国の事以外は無関心で、アメリカ=世界と考えてフシがあるけれど、それと同じように東京の人は、東京=日本って感じているんじゃないだろうかねぇ?
だから、東京的傲慢さを平気で出せるし、東京の外に関して無関心でいられる。そしてそうした東京の傲慢さを体現しているのが、石原慎太郎であり、それがゆえに支持をされるんじゃないだろうか?

*1:しかも反対運動を行っている人達の殆どが、元から下北沢に住んでいた人達ではなく、地方出身者ばかりなんだよね

*2:だから、ある意味東京って、でっかい田舎だよね

女装少年に萌えるなんて二次元だけ、そう思っていた時機が俺にもありました・・・。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm113654

http://www.nicovideo.jp/watch/sm126807

う〜む、コレくらいのレベルだと、たとえ下半身に付くもの付いていても別にいいや〜とか思いそう(苦笑
あぁ、実にゆびさきミルクティー