貴方、無自覚過ぎですよ。


オタクにしろ腐女子にしろ一般人にしろ、普段は他者に性的な視線をめっちゃ向けてるくせに、自分がいざ他者から性的な視線を向けられると、ドン引きする人って、恋愛とかした事ないんだろうか?とか言うと色んなところから糾弾されそうだけど、自分が普段他者に対してやっている事に、無自覚過ぎるのは不味いと思うのさね。っていう自省も含めた戯言。
いや、本当さ〜普段「〇〇たん萌え〜」って生身の人間に対してもやってるくせに、いざ自分がその対象になったら、超絶拒絶するのは酷いよなぁ。
そうやって、拒絶した相手は普段のアンタなんだぜぇ。

8月の15日

この季節っていうか、この日になると毎年テレビや新聞とかで終戦記念日特集という名の反戦平和番組やら社説が垂れ流される訳だが、どうも私はこの手の物が好きになれない。(あと平和教育も)
別に戦争が好きだとか、平和が嫌いだからって訳じゃない。じゃあ何が気に食わないかって〜と、やり口や語り口が気に食わない。
なんというか、こう〜心を撫でるような内容でさ、場合によってはお涙頂戴なのも含まれて、要は感情に訴えかける内容ばっかなんだよなぁ。
別にそれを悪いとは言わないんだが、問題なのはそれ以外が結構すっからかんなのばっかって事。何故そうした結末、過程を歩まねばならなかったのか、そういう分析がかなりおざなりで、決まって政府や旧軍や米軍を悪者にし、場合によっては戦争を天災にようなモノのように見てるときもある。感情だけ掻き立てるだけの凄く無責任な語り口。(NHKスペシャルとかは割とマシかもしれんけどさ。)

お盆と重なるせいもあって、追悼モードというかまぁ葬式なんだよな。葬式だから分析とかは必要ではなく、ただただ「悲しい」「悲惨」という情報を垂れ流し、「うんうんそうだよね」と同意するって感じ。そういう空気。
だから、ぶっちゃけ感情以外は何も学べない。
創り手側は教訓や知識の継承をめざしているのだろうが、やってる事は感情を強制しているだけだ。それがゆえに私はたまらなくウザく感じる。

平和教育を含め、こんなんばっかりだ。そりゃあ日本人は感情的なポピュリストになるし、「戦争」とか「軍隊」とか「核」ってだけで過剰反応するようになるよ。平和運動って奴も理想主義者やセクトのオナニーの場にしかならない。


感情という物は、人間の行動の根本に関わる物である。しかしそればかりで知識や経験の肉付けがされてなければ、ヒステリーでしかない。そんなものやるだけ無駄だし、むしろ害悪だ。もっと冷静で第三者的な視点からの、しっかりとした分析がされたもんが増えるべきなんだが、残念ながら今の御時世はそうした分かりにくい複雑な現実よりも、むき出しで単純明快な結果が尊ばれ、感情をくすぐるようなモノが金と数字を生み出すわけで、そうそう変える事はできないんだろうなぁ・・・。

一度でいいから


「私の体が目当てなのね!?」とか言われた時に「じゃあ、お前は何が目当てなの?」とか聞いてみたい。
怖くてできませんがw
ってか、最近ラブコメとは程遠いので、そういうシュチエーションにすら、なりゃしませんね、ええorz
一般的に、「体」や「お金」目当てはよろしくないとされますが、では「心」や「感情」とか「時間」「思い出」が目当てならば良いのでしょうか?
物理的な対価と、精神的、時間的な対価は対等では無いって事なのでしょうけど、なんで対等にしちゃいけないんでしょうね。

最凶のモテ手法


ちょっと前に異性をほぼ確実に落とす方法 - あるSEとゲーマーの四方山話っていう、はてブで600以上もブクマされた記事があったのだけど、そこにはこんな事が書いてあった。

感情体積を増やす!
まさに人間の心理をピタリと当ててます!!

何を言ってるのかというと
「いい人」ってのは女の子からみて30点ぐらい。
これが「すごくいい人」に成長すると60点。
30点の得点アップとなる。

で「いい人」が、女の子のミスや欠点をビシッと叱る。
図星なほど相手は傷つく。
もしくは、女の子に嫌われてもいいから自分のしっかりとした意見を通す。
すると嫌われて−50点ぐらいになる。
その後、きちんと相手のことを考えてフォローを入れる。
謝ったり、影で相手のこともささえたりする。
このときは「すごくいい人」として60点の評価がもらえる。
実はこのときの差分は110点の評価。
同じ「すごくいい人」でも揺り幅を増やすととんでもないことになる。

とすると、ずっと「いい人」は差分が0点。
「いい人」が「すごくいい人」になっても差分30点。
「悪い人」と「すごくいい人」を『繰り返す』人は何百点でも稼げてしまう。

http://finalf12.blog82.fc2.com/blog-entry-511.html

これを見て思ったのだけど、ストックホルム症候群って、まさにこの手法というか状況にやられてしまった状態の事を言うんじゃないかねぇ?
ストックホルム症候群ってのは、誘拐なり立てこもりなりで、長期にわたって人質と犯人が一緒にいるうちにお互いに信頼や愛情が芽生えるっていう現象ですが、ストックホルム症候群を扱ったサイトに興味深い記述が幾つかありました。

ストックホルム症候群

犯人への同情、連帯感、愛情

被害者は、犯人と長い間接しているうちに、「犯人も、人間なんだからそんなに悪い人じゃないだろう」という気持ちになってきます。特に、誘拐、拉致された直後は、「殺される!」と恐れ慄いていていたわけですから、犯人が被害者に食物を与えたりするようになると、「生かしてくれるんだ!」と一気に、緊張がほぐれるのです。

また、監禁生活が長くなってくるにつれ、監禁生活自体に「日常性」というものが出てきます。朝ご飯を食べ、昼ご飯を食べ、犯人と将棋をさしたり、話をしたり、夕飯を食べる、という生活のスケジュールが出来てくるのです。そうなると、被害者にとっても、犯人にとっても、「監禁生活」という異常な状態が「日常」にすりかわってしまいます。

その異常な日常のなかで、被害者は犯人と交流をもち、犯人の子どもの頃の話を聞いたり、犯人の悩みを聞いたり、冗談を言って笑ったりするようになります。犯人のことを知れば知るほど、「なんだ、犯人だって人間らしい生活があって、子供時代もあったんじゃないか」という気持ちになり、犯人に親近感を覚えるようになるのです。

親近感が芽生えると(トラウマボンドが発生すると)、後は、異常な日常が「共同生活」に摩り替わります。合宿生活や寄宿舎生活で、生活をともにする者同士に愛情や同情がわくように、被害者も犯人に愛情や、同情を感じることになってしまいます。

http://www.angelfire.com/in/ptsdinfo/crime/crm3gsto.html

ステージ 1-敵対関係
犯罪発生直後、被害者は何が起こったか全く分かりません。少しずつ状況を把握するにつれ、「自分は誘拐された、監禁された、人質となった」という事実が見えてくるようになります。恐怖感に支配された被害者は、助かることだけを祈ります。この時点ではまだ、被害者にとって、犯人は「悪い人達」であり、警察や政府機関など、自分を救助してくれそうな人々は「自分の味方」となります。
ステージ 2 -コミュニケーション、分かち合い
監禁などの状況が長引くにつれ、被害者も犯人も日常性を取り戻して行きます。まるで共同生活のように、日々の日課がお互いに確立されてくるのです。被害者は「犯人に気に入られたい」という気持ちから、犯人は「被害者のことを知りたい」という気持ちから、お互いが少しずつコミュニケーションをとるようになります。
ステージ 3 -トラウマボンドの発生
お互いを知るにつれ、連帯感、親密感がわいてきます。犯人が敵とするものが被害者にも敵と思えるようになり、お互いが、異常な状況下を生き抜いた「同士」のような気分になってしまいます。犯人は被害者に連帯感をもち、被害者は犯人に同情や連帯感を持つようになるのです。これが、トラウマボンドと呼ばれる「犯人と被害者の固い絆」の発生です。

http://www.angelfire.com/in/ptsdinfo/crime/crm3g.html

こうした感情や人間関係の変化は、上記の感情体積を増やすという意味では非常に効果的な変化をもたらすと思われます。
だって初めは自分を監禁し、しかも危害を与えるかもしれない、点数でいえば−200点のような犯人ですが、コミュニケーションを重ねるうちに、ふとした優しさや気遣い、人間らしさから「いい人」までは行かなくても「あぁ、この人は完全な悪人ではない、私達と同じ人間だ」と思われるだけでも、つまり0点の評価だとしても差分として200点のアップになるからです。
しかも閉鎖的な環境なので、短期間でも濃密なコミュニケーションが可能であり、外部からの状況が制限されるので、客観的に自分の心情や状況を整理し、善悪を判断する事は難しくなります。吊り橋効果という面でも犯人と共に極限状況を経験するわけでし、いつの間にやら犯人に対して愛情のような感情をもってもおかしくないでしょう。
要は暴力や誘拐、監禁等によって無理矢理心的相互依存、共依存の状態にさせられてしまったわけですからね。
まさに最凶のモテ手法。

最後に

これを悪用すれば、目当ての異性はほぼ確実に自分の物にできるかもしれませんが、犯罪以外の何物でもないので止めましょう。てか「それなんてエロゲー?」って感じ。*1エロゲーエロゲーでも鬼畜陵辱物なので、トゥルーエンドやハッピーエンドに行くのは物凄くシビアでしょうね。*2
上手く逮捕を逃れ、目当ての異性を洗脳しものにした所で、そうして得た関係は維持するだけでもかなりの苦痛と労力を強いますし、下手をすればスクールデイズな結末が待っています。*3
異性をほぼ確実に落とす方法 - あるSEとゲーマーの四方山話の人が言っているようにヤクザな手法ですし、現実はエロゲーのように甘くなく、コンティニューもセーブも効きませんので、分別を判断する脳味噌をお持ちの方は、エロゲーで我慢しときましょう(オチがこれか・・

*1:余談だけど、鬼畜陵辱物のエロゲーってわかり易い直接的な暴力で女の子を屈服させる事ってあんま無いよね。たっちー位か。基本弱みを握って脅迫ってパターンばっか、何でだろう

*2:っていうかハッピーエンド無いだろ

*3:わかれたとしても相手は後遺症とか引きづるしね

若者、ワカモノ

http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20060911/109582/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20070626/128317/

いつも思うんだけど、こういう所で語られる「若者」って、純粋に若者っていうよか、政治的、マーケティング的な意味での「ワカモノ」だよなぁ。 だって30代で若者ですよ?*120代後半ならまだしも、良い年したもうすぐオッサン候補生である30代を「若者」ってのはかなりシビアな話しですよ。女性の場合、20代ですでに「オバサン」にされちゃってる人もいるだろうし・・・。


バブル崩壊やら就職氷河期やら、その他色々な彼等が本当に若者だった頃の社会的影響でワカモノをせざるをえなかって事や、その数的な多さもあって、政治的、マーケティング的に、ワカモノにしときたいって感じなんだろうな。
そういう意味では、彼等はワカモノをさせられているとも言えるんかな?まぁ、あとやっぱモラトリアムを引きずって、ワカモノを止められない人達が30代にある一定数いるんだろう。*2


ただ、そんな彼等がいつまでも「若者」や被害者であり続ける事は無理だしオタク中年化問題(要約) - シロクマの屑籠じゃないけど*3、中年となってワカモノをやり続ける事もいい加減無理になってきた時、ポンと簡単に「大人」になんてなれないだろうし、歳を取れば歳を取るほどそれは難しくなっていくわけで、本当に二進も三進もいかなくなった時、この社会やまたは彼等はどうするんだろう。
その時彼等はなんて言われるんだろう。

*1:そりゃ50以上のオッサン達からすれば若造なんだろうけど

*2:なんかこじれた人が30代に目立つのは気のせいじゃないと思う

*3:オタク中年化問題はオタクだけの問題じゃないと思う、ただ一番酷い状況なのはオタク・・なのかなぁ。

グレンラガンはオタクの世代交代劇に見えた

とりあえず15話まで見たグレンラガンの感想なんだけど、15話までのグレンラガンって決断主義のオタク達がセカイ系のオタクを打倒する話しなんじゃないかって思えてきた。
セカイ系のオタクってのは、ようは螺旋王の事なんだけど、彼のやってることって、凄くオタクっぽいんだよね。自分の思い通りになる獣人達だけの世界を作り、自我を持たない人形のような女達に囲まれ、そうではない自我を持つ人間達を地下に排除する。そして人間達に絶望している。なんか自分のセカイに閉じこもって、萌えキャラ消費してるって感じだわ。


そんで、それを打倒した決断主義のオタクであるシモン。
シモン自体も、内向的で穴掘りばっかしていて、凄くオタクっぽいんだが、彼はカミナやニア達によって励まされ、支えられしっかりと決断し行動する決断主義のオタク。
そしてシモンの覚醒(決断)に深く関与しているカミナとニアだけど、この二人は良く周りを見ている。
特にニアは、あっという間にグレン団に適応し、シモンを理解し周りがシモンを見捨てようとしている時も、シモンを励まし彼を信じた。*1
そしてシモンは見事、カミナの死を乗り越え覚醒し、いまや大グレン団を引っ張る存在に成長し、ついには螺旋王を打ち破った。
まぁだから、決断主義+適応能力というか空気を読む能力というか、そうした能力というか意思を持った新しい時代のオタクが従来のセカイ系のオタクを打ち破る話しなんじゃないかと私は思ったのよ。*2


ってなわけで、15話まで見た感想ではあるけれど、グレンラガンという作品は、もしかしたらエヴァで大量のセカイ系にはまるオタクを生み出してしまった、ガイナックスなりの返答、またはケジメなんじゃないかと思ったりなんなり・・。*3

*1:13話でもヨーコを信じていたね

*2:でも16話以降はどうなるんでしょうね

*3:螺旋王の乗ってた機体、なんかEVA初号機に似てるしさ

アキハバラ解放デモとソレへの批判に対する雑感と『オタク』

6・30アキハバラ解放デモ 女装・やらないか・ハルヒいろいろ 400人?以上が参加 - アキバBlog
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/997568.html


未だにmixiのコミュの方は炎上中な、アキハバラデモ。*1
「そんなにムキになって批判するものかぁ?」っと、半ば呆れながら今回の騒動を見ているのだけれど、でもまぁ、批判者の気持ちもわからないでもないと思ったりもする。

例えば、私は憲法改正には賛成だし、自衛隊の活動に対しても好意的に見ているのだけど、どこぞのアホ左翼が「若者は憲法改悪に反対しています!」とか「国民は自衛隊を認めてはいません!」なんてのを聞くと、「ちょっと待てよ」っと異論を唱えたくなる。
何故そうなるかといえば、『若者』とか『国民』なんて言葉を使われ、勝手に解釈されまとめられ勝手に代弁されているからだ。いちよ『若者』でもあり『国民』でもある私はとしては、「おいおいそんな事、私は思ってないぜ」っと異論を唱えたくなるってわけ。
それと似たような違和感を、アキバデモを批判する者達は感じたからこそ、あ〜して今もmixiのコミュを炎上させたりブログや2ちゃんのスレで文句を言っているのだと思う。
つまり『オタク』の意見として勝手にまとめられて主張された事にカチンときたのだろう。

オタクの足を引っ張るのはオタク、オタクを批判するのもオタク

それゆえに「彼等はオタクじゃない」とか「オタクのイメージを悪くする」とか云々言っているのだろうけど、ただ、そうした批判はとても陳腐に思える。
まず、「彼等はオタクじゃない」云々って批判だけど、『オタク』なんて言葉はもう本来の意味なんてとっくの昔に失われ、今や形骸化した玉虫色的な漠然とした意味の言葉でしかないのに、*2自分の中だけの「俺定義のオタク象」を持ち出して否定しても、どうしょもない。
それでもしたいのならば、まずは『オタク』の意味を再定義するべきだけど、色んなオタク論とかやってる人達ですら、それを今や放棄しちゃってる現状では、誰しもが納得するオタクの再定義など不可能だろう。
そもそも、「彼等はオタクじゃない」と批判している者達だって、上の世代や別の立場の人達からすれば「お前等は違う」と言われかねない。

結局の所、批判者は自分とデモをしている彼等は違うって事を言いたいのだろうけど、『オタク』という言葉や自分がオタクである事に拘りすぎていて、なんというか必死過ぎていてみっともなく見える。*3
だいたい自分達と違うのならば、あそこまで拘る必要は無いと思うのだが、そうではないのは半ばデモをした彼等を自分達と同族だと認めているからだろう、認めているからゆえに必死になって自分達とは違う存在だとアピールし、攻撃しているって感じがする。*4

そして「オタクのイメージが悪くなる」云々という批判は、本気で言っているのならば、自意識過剰もいい所だろう。たかだか500人のデモ如きで神経質すぎると言うか、ぶっちゃけ世間様は殆ど無関心だし、この程度の事で今更オタクの評価がどうこう変わるはずがない。いちゃもんを付ける口実で無いとするのならば、よっぽど自意識過剰か神経質かのどちらかだ。*5
だいちオタクのイメージ云々を言うのならば、コミケ等の方がよっぽどオタクのイメージについて影響を与えてるし、迷惑さ加減でも周辺地域や交通機関に多大な影響を与えている。*6
しかし、コミケに対して「迷惑だ」とか、「オタクのイメージを悪化させる」なんて言葉はオタクの側からは殆ど聞かれない。

ノレる祭りノレない祭り

私が思うにコミケに対して、オタク側からのバッシングが余り見えない、または聞こえないのは、コミケがオタク的文化圏の人間に広く認知され浸透しているという事と、多くのオタク達がコミケという祭りに参加する事ができ、その祭りにノル事ができているからだろう。言い方を変えれば、オタクはもちろん、ゲーム会社等のオタク系の企業とかも、コミケで利益を得ているからだ。*7
コミケの理念や目的が素晴らしいから支えてるってのもあるだろうが、やはり一番はコミケによって多くの者達が何らかの利益を得られるがゆえに、多大な迷惑や影響を与えるコミケでも皆して支え盛り上げているというのが本音じゃないだろうか。そういう意味では色んな物を受け入れ飲み込み、肥大化という道を歩んだコミケの方針は正しかったのだろう。もしコミケコミケット創始者達の理念を厳密に実行し、企業参加者やコスプレイヤー、儲けを追求するサークルや買い専の一般参加者を排除していたら、*8今頃コミケは現在のように大きくはなれず、今回のアキバデモの騒動のように「迷惑だから止めろ」と批判されたり、下手をすればバッシングや圧力を受けて潰れ、現在のような同人文化やオタク文化は生まれなかったかもしれない。
話しをデモに戻すけど、今回のデモが何故あそこまで叩かれたかと言えば、2ちゃんや痛ニュでこのデモを知った人達からは「あのデモにはノレない」「参加できない」「したくない」と思われてしまったがゆえだろう。結局の所参加した500名の人達しか理解し楽しめなかったのかもしれんが、何の後ろ盾も組織もない個人の集まりが500人も人を集め、なおかつ楽しませたという事は特筆すべき事でも有る。
確かにデモの背景の文脈やid:furukatsuさんをはじめ、運営側のスタンスを理解していなければ勘違いしてしまうだろうし、運営側もまさか500人も集まり、あそこまでの大騒ぎになるとは思っていなかっただろう。それゆえにその後の対応やらなんやらと落ち度があったのも否めない。*9

場を作る事だって立派な創作

しかし、私はアキハバラデモのような祭りがあっても良いと思う。あ〜いう自己表現の仕方や、する場が有っても良いと思うし、「オタクはそんな事をしない」とか勝手に枷をはめる必要もない。作品を創作するだけがオタクでは無いし、コミケのような祭りの場を創作する事も、そこでコスプレをしたり主張をしたり踊ったり歌ったりする事も、オタクであろうがそうでなかろうが、十分自己表現として尊重すべきだ思う。
今回はデモという形式をとったのだけれど、私はデモという形式に囚われる必要もないと思うし、それこそ秋葉原全体、そこで商売をしている人達や店、住んでいる人達も良い意味で巻き込んだ祭りを作っちまっえば良いと思う。今回は500人しか楽しめなかったかもしれないが、秋葉原にいる多くの人達が楽しめ利益を得られる祭りを作り上げられるのならば、やがてコミケのように色々な人達が集い表現し、そして支えていく祭りになるだろう。
そんな可能性を私は今回のアキハバラデモに感じました。

*1:私自身は当日参加せず、家でゴロゴロしながらニコ動をみてましたわ

*2:私自身もかなり漠然とした意味の言葉として使っている、まぁアニメとかゲームとかオタク的なカルチャーを消費している人達って程度の意味として

*3:そういう意味じゃ運営側も、オタクに少し拘りすぎたと思う

*4:これもアレか、差異化ゲームって奴か?

*5:まぁ、ある意味オタクらしいけどね(苦笑

*6:つか迷惑のかからないイベントや活動、『祭り』なんてないと思う

*7:「利益」と乱暴にまとめちゃってますが、色々な形、色んな意味で多くの方々が活動をしております、いちいち細かく書くのがめんどうなので、はしょりますが(スイマセン

*8:別にここで槍玉に挙げた方々が悪いとか排除するべきとか、そういう事を言うつもりは無いのであしからず

*9:つかmixiのコミュの方はもうちっと対応の仕方というか、こういう所でオタクっぷりを発揮されてもなぁ・・とかなんとか